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京都観光と京都ロイヤルホテル

2008 年 12 月 28 日 日曜日

1879年(明治12年)には郡区町村編制法により、京都に上京区と下京区の2区が置かれ、続いて1889年(明治22年)に上京区・下京区は府管轄下の「京都市」となった。現在の京都市は、伏見市をはじめとする周辺の市町村を編入したため、江戸時代以前からの伝統的な「京都」の範囲は、現在の京都市内の一部に過ぎない。現在は世界有数の観光都市。神社仏閣の本山を多数擁する。なお、現在、名所・旧跡に立てられている案内碑は、そのほとんどが明治維新後に推定で置かれたものであり、必ずしも、実際の所在地と一致はしていない。

戦国時代・安土桃山時代戦国時代の端緒となる応仁の乱で市街、特に北側の大半が焼失し、その後もたびたび戦乱に巻き込まれた。この頃、京都は上京と下京に分かれ、それぞれ「構」によって囲まれていた。その間は畑になっていたといわれ、室町通でかろうじてつながっていた。この後、織田信長、豊臣秀吉の保護と町衆の力により復興した。お勧めの京都についての情報は、このサイトでも紹介されていますが、特に、秀吉の都市改造は大規模なもので、聚楽第と武家町の建設、内裏の修理と公家町の建設、洛中に散在していた寺をあつめた寺町の建設などを行い、現在でもしばしばその都市構造を確認することができる(→天正の地割)。

上東門と上西門を除く12門は「宮城十二門」と総称される。なお、幕末まで天皇が住んだ京都御所は、1331年に光厳天皇が里内裏だった土御門東洞院殿を皇居として定めたものである。1855年に松平定信(寛政の改革で有名な老中とは別人)を総奉行として律令制の形式に則って改築された。1895年(明治28年)には平安神宮が建立され、内部に大極殿、応天門など大内裏朝堂院の施設が縮尺復元された。将軍義政と義視室町幕府は、南北朝時代の混乱や有力守護大名による反乱が収束した将軍足利義満・足利義持の代に、将軍(室町殿)を推戴する有力守護の連合体として宿老政治が確立していた。

忠平以降は朝政の中心としての摂関が官職として確立し、忠平の子孫のみが摂関に就任するという摂関政治の枠組みが確定した。ただし、摂関政治においても摂関が全ての決定権を握っていたのではなく、議政官が衆議する陣定の場でほとんどの政治決定が行われていた。ところで、9世紀ごろから関東地方を中心として、富豪層による運京途中の税の強奪など、群盗行為が横行し始めていた。群盗の活動は9世紀を通じて活発化していき、朝廷は群盗鎮圧のために東国などへ軍事を得意とする貴族層を国司として派遣するとともに、従前の軍団制に代えて国衙に軍事力の運用権限を担わせる政策をとっていった。

京都観光情報

  • お知らせ | 京都文化博物館
    http://www.bunpaku.or.jp/info_notice.html
    ◇入場料:1,500円(常設展入場料を含む/友の会会員は750円) 「京都アートフリーマーケット2008秋」 Kyoto ART Flea Market 2008 Autumn
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