2008 年 10 月 のアーカイブ

京都観光と京都紅葉情報

2008 年 10 月 31 日 金曜日

この洛外にまで広がった上京と下京が近代以後の京都市の基礎となっていくことになる。都城は、歴史上の都市計画に関する用語。中国を始源とする制度(都城制)に基づき建築された都市。天子の居城(宮城)が北辺にあり、その南に宗廟及び官庁を設け(皇城)、その周辺市街地(京城)が形成され、各々防衛のため城郭(漢語本来の城)で周辺を囲んだ都市。学術的に都城の「宮」と「京」を総称して宮都と呼ぶこともある。典型的なものは長安城であり、古代日本においても、律令制の継承とともに藤原京を嚆矢として平城京、平安京といった都城が建設された(→都城制、条坊制)。

恭仁京(くにきょう、くにのみや)は、奈良時代の一時期、都が置かれた山背国の地。現在の京都府木津川市に位置する。大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)とも。1957年7月1日山城国分寺跡として、国史跡に指定されていたが、2006年11月17日の文化審議会で、恭仁宮跡(山城国分寺跡)に名称変更が答申され、2007年2月6日付け官報告示で確定した。この変更で、史跡範囲も大きく拡大した。藤原広嗣の乱の後、天平12年(740年)12月15日聖武天皇によって、平城京から遷都された。相楽が選ばれた理由として太政大臣・橘諸兄の本拠地であったことが指摘されている。

平安中期時平の死後、弟の藤原忠平が太政官首班となった。忠平は律令回帰路線に否定的であり、土地課税路線を推進していった。忠平執政期ごろに、有力百姓層(富豪層)へ土地経営と納税を請け負わせる名体制もしくは負名体制が開始しており、この時期が律令国家体制から新たな国家体制、すなわち王朝国家体制へ移行する転換期だったと考えられている。忠平期を摂関政治の成立期とするのが通説である。それ以前の藤原良房の時から藤原北家が摂政・関白に就いて執政してきたが、発展段階の摂関政治だったとして初期摂関政治と区別されている。

各主体が保有する権利は「職」(しき)とよばれ、職が重層的な体系をなしていたことから、これを職の体系という。そして職の体系を基盤として11世紀後期?12世紀に成立した体制を荘園公領制という。平安後期の政治・経済史は、この荘園公領制の成立と深く関わっている。11世紀中期までは摂関政治がある程度機能していたが、社会の変動に対応する政治的イニシアチブを摂関家と天皇のいずれもがとりえないという摂関政治の欠陥が露呈し、機能不全に陥っていった。同後期に登場した、外戚に藤原氏を持たない後三条天皇は天皇親政を行い、記録荘園券契所を設置して実効的な荘園整理を進める(延久の荘園整理令)など、当時の社会変動に伴う課題に自ら取り組んでいった。

京都観光情報

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