京都観光ガイド
2009 年 4 月 12 日平安前期には、人民内部で少数の富豪層と大多数の貧困層(一般百姓層)へと階層の二極分化が進んだ。富豪層は院宮王臣家(皇族、有力貴族)と墾田開発などを通じて関係を結び、一般百姓層を自らの影響下へ置き始めていた。貧困層は、富豪層の影響下に入ることで、偽籍・逃亡・浮浪をより容易なものとし、人別支配に基づく課税制度は破綻を迎えるようになった。平安中期のはじめごろ、朝廷は人別支配を放擲し、土地課税を基調とした支配へと移行し、それに伴って、地方に土着した貴族や郡司らに出自する富豪層は、国衙から名田経営と租税収取を請け負う田堵負名へ成長し、より一層経済力をつけていった。
細川氏や三好氏といった家臣によって追放されていた足利将軍家の将軍を京都に連れ戻して保護を与えることは、失われた秩序の回復者としての名誉を得ることだったからである。このため、大きな勢力をもつ戦国大名たちはそれぞれに上洛を企画したが、実現は領国における抗争に妨げられ、成功したものはいなかった。例えば今川義元は上洛の途上で織田信長軍に討ち取られ、上杉謙信は内紛の不安や雪などに阻まれて加賀国以西に進むことができなかった。また、武田信玄は途上で病死した。これらの大名たちの領国は京都から遠く、上洛しようとすれば途上の勢力の抵抗や本国の内紛などを一つ一つ片付けていかなければならなかったのである。
741年の9月に左京右京が定められ、11月には大養徳恭仁大宮という正式名称が決定され、宮殿が造られた。都としては完成しないまま743年の末にはこの京の造営は中止されて聖武天皇は紫香楽宮に移り、744年に難波京に遷都、さらに745年、都は平城京に戻された。お勧めの京都についての情報は、このサイトでも紹介されていますが、わずか3年余りの都であったが、日本の文化史上の重要事項である「国分寺・国文尼寺建立の詔」と、「大仏建立の詔」はこの都で出され、実行に移された。
また、平安中期は、仏教の末法思想が人々に広く浸透し、浄土思想・浄土教が盛んとなった。民衆に仏教信仰が拡がったのもこの時期であり、空也や融通念仏の良忍などの僧が民衆の中で活躍した。平安末期になると歴史物語・軍記物語などの時代を顧みる文学が芽生えた。天台仏教・山岳仏教が日本各地へ広がり、豊後国東半島(豊貴寺大堂など)や北陸地方(平泉寺など)などで動きが顕著であり、その他の地域でも三仏寺投入堂などがある。当時、民衆の間に今様という歌謡が流行し、後白河上皇により今様を集成した『梁塵秘抄』が編まれた。
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