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京都観光と京都料亭

2009 年 3 月 7 日 土曜日

1879年(明治12年)には郡区町村編制法により、京都に上京区と下京区の2区が置かれ、続いて1889年(明治22年)に上京区・下京区は府管轄下の「京都市」となった。現在の京都市は、伏見市をはじめとする周辺の市町村を編入したため、江戸時代以前からの伝統的な「京都」の範囲は、現在の京都市内の一部に過ぎない。現在は世界有数の観光都市。神社仏閣の本山を多数擁する。なお、現在、名所・旧跡に立てられている案内碑は、そのほとんどが明治維新後に推定で置かれたものであり、必ずしも、実際の所在地と一致はしていない。

官僚やその家族の邸宅も大内裏の内部にあり、それらの殿舎は内裏の清涼殿に廊下でつながっていた。 大内裏の周囲は築地の大垣が張り巡らされており、この築地を「宮城垣」または「外の重(とのえ)」という。 門は最も外側に宮城門(みやぎもん)が位置し、内裏外郭の門を宮門(みやもん)、内郭の門を閤門(こうもん)という。大内裏の宮城門は南面に朱雀門、皇嘉門、美福門 北面に安嘉門、偉鑒門、達智門 東面に上東門、陽明門、待賢門、郁芳門 西面に上西門、殷富門、藻壁門、談天門 が構えられていた(平安京全体図参考)。このうち上東門と上西門は大蔵通用門として「屋根を設けず築地を開いただけ」の門であったため、「土の門」=「土御門」と呼ばれた。この門を出た通りが「土御門大路」であり、姓氏の土御門家や藤原氏邸宅土御門殿はこの地名に由来している。

嵯峨天皇から清和天皇にかけての時期は、凌雲集などの漢文詩集が編纂されたり、唐風の書がはやるなど、唐風文化が花開いた。この唐風が非常に強い文化を弘仁・貞観文化という。文化の国風化(日本化)の萌芽は、奈良時代から見られていたが、平安初期は唐風文化の影に隠れるかのようになっていた。しかし、唐風化の波が沈静化すると、ふたたび日本的な要素が文化の前面へと現れてきた。これが、平安中期ごろの国風文化である。特徴としては、平仮名・片仮名の発明で日本語の表記が容易になったことによる、和歌・日記・物語文学の隆盛、官衣束帯の登場(官服の国風化)、寝殿造の登場などがある。

山城国分寺遷都後、宮城の跡地は山城国分寺として再利用されることになった。大極殿は金堂に転用されたという。南北3町(約330m)、東西2町半(約275m)の広大な寺域を有していた。金堂の東側は国分寺の鎮守社である御霊神社の境内地だったとされる。現在は広大な平原となっており、金堂(大極殿)礎石と七重塔礎石が地表にのこされている。長岡京(ながおかきょう)784年から794年まで山城国乙訓郡に存在した首都のこと。現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区にあった。本項で後述。 京都府長岡京市。市域の一部が上記の一部跡地と重なることに由来。市制前は乙訓郡長岡町と呼ばれていたが、新潟県長岡市が先にあったので、このような名前となった。 長岡京駅 - 長岡京市にある西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(JR京都線)の駅。

京都観光情報

  • 秋の京都 廬山寺(ろざんじ) その1
    http://kakitutei.gozaru.jp/kyoto05nov/2-4.html
    ●所在地 :京都市上京区寺町広小路上ル ●交通 :市バス「府立病院」下車 → 廬山寺ホームページ
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